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2011年11月14日

銀座のママ、「余命半年」から復帰




この間、ますい志保さんの本をご紹介した。

その彼女が、「余命半年」から復帰したそうだ。

本当に良かった。


産経新聞 2011年10月28日 転載 


 東京・銀座のクラブ「ふたご屋」のママで元タレント、ますい志保さんは平成15年春、子宮体がんが発覚した。「放っておけば余命半年」と言われるほど進行していたが、抗がん剤治療などをへて翌年には本格的に仕事に復帰。多くの人に支えられながらがんを克服したことで、「謙虚さと自信」を身に付けた。(文 豊田真由美)


 11年春頃から不正出血があり、お客さまに「着物に血が付いているよ」と指摘されるようになりました。生理はあまり来なくて、来たら来たで不順。生理痛以外でおなかが痛くなることもありました。出血と痛みが続くので、病院でエコー(超音波検査)を撮りましたが「シロ」。そのうち、どろっとしたゼリー状の血が出るようになり、1年後に同じ病院を訪ねたら「子宮内膜症」と診断されました。

 15年に倒れるまでの2年くらいは、市販の鎮痛剤を1日1箱飲み切っていました。当時は(雑誌などの)連載を8本抱えていましたし、テレビのレギュラー番組もあり、仕事に穴を開けられませんでした。裸一貫で東京に出てきたから、体調より「食べていけなくなったらどうしよう」という不安の方が大きくて。今もスケジュール帳が真っ黒でないと不安になります。

 15年春、真夜中に刺すような痛みに襲われました。病院でMRI(磁気共鳴画像装置)を撮ってもらい、子宮体がんの疑いがあることが分かりました。「(余命は)あとどのくらいですか」と聞くと、「放っておけば半年」。現実感がなくて、まるでお芝居を見ている感じがしました。

                □ ■ □

 摘出手術をしたら、「リンパ節に転移があった」と告げられました。ショックで、がんを知らされたときより動揺しました。病院はどんどん人が亡くなっていく戦場みたいな場所。毎晩のように人が亡くなって廊下がざわつくんです。私も寝ている間に命がつきてしまうのではないかと思うと怖くて、転移を知った日から病室の明かりをつけたまま眠るようになりました。

 摘出手術で入院してから抗がん剤治療が終わるまで、女性週刊誌で闘病記を不定期で連載しました。私には女性ファンはいないと思っていたのに、読者から(高校野球のように)甲子園に行けそうなくらい千羽鶴が届いて「生きて帰らないと」と思いました。街を歩いていても、通りかかった女性に「志保ちゃん、頑張って」と言われてすごくびっくりしました。

 同じ病気で泣いている女性は非常に多いですね。抗がん剤治療が始まって髪が抜けるようになったので、かつらを買いに行ったら、隣のブースから「もう会社に行けない」って、ものすごい泣き声が聞こえたんです。でも、「そんなことないよ」って。闘っている姿は美しい。それを恥ずかしいとか、みっともないと思うんじゃなくて、私は潔く闘いたいと思いました。

                □ ■ □

 治療とリハビリを終え、歩いたり走ったりできるようになって、謙虚になれた気がします。「多くの人に支えられてきたんだ、自分は一人じゃなかったんだ」と気付きました。自分を信じられるようにもなりましたね。がんになることは負けることではない。乗り越えていける。治らないがんだとしても共に生きていける。そう気付くには時間がかかりましたけれど。

 今は、なるべく遊んでいます。病室で白い天井ばかり見ていると、青い空が見たい、流れる雲が見たい、光が見たい、風を感じたい、と思うんですよ。それでスキューバダイビングを始めたら、サンゴ礁に感動したりしてどんどんはまっていきました。去年からはゴルフも始めて、今日はコンペで初優勝しましたよ。

 どんな状態のときも、生きていることは素晴らしいと思います。生きていられたら新しい喜びを見つけられるし、誰かを喜ばすこともできる。そんな自分になりたいと思います。

                   ◇

【プロフィル】ますい志保(ますい・しほ) 昭和43年、神奈川県生まれ。明治大卒。大学在学中からホステスとして働き、平成6年、双子の妹と東京・銀座にクラブ「ふたご屋」を開業。ママとして店に立つ一方、執筆や講演などもこなす。著書に『いい男の条件』(青春出版社)、『赤い蝶々(ちょうちょ)』(小学館)、『いい男に最短で出会う本』(朝日新聞出版)など。


posted by むとせ at 13:34| 本とソフト、その他の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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